デビッド・アイオナ (David Iona) の「アーケストラクチャ」(Archestructures)は洗練され、そのデザインは複雑に入り組んでいますが、また驚くほど美しく感動的な作品であり、もっと知られる価値があります。 私の長年にわたるモンドリアン研究は、これらの作品の中心にある空間的で色彩的な、しかしまた霊的とも情緒的ともいうべきものに対する際だった感性を、そして、それらがかくも雄弁に語っている形相的なものと精神的なものとの間の魅惑的で実に感動的な関係を理解する上で、大いに役立っています。
「アーケストラクチャ」についてアイオナが書いていることが特に役立つのは、それが自分の作業プロセスの特徴について彼自身が語っているからです。それはとても興味深く参考になります。 私はいつも、「負の構文(ネガティブシンタックス)」と名付けている感覚的な「反論理」についての私の研究はほんの手始めにすぎないと述べてきました。なぜなら、特定の芸術作品を生み出す上で機能しうる様々な方法については、まだ知られていない、あるいはよく理解されていないことが数多くあるからです。自分の望む結果を出すための戦略についてアイオナが語っていることは、少なくとも私には、その方向への意味ある前進を示していると思われます。彼が作品にどう取り組むかの詳細は「疑似論理的」プロセスの一部であり、理論家としての私に最も興味を起こさせます。 私が「擬似論理的」という理由は、実際に言葉に表現できるのはその「論理」のほんの一部だけであり、その多くは芸術作品そのものを通じてのみ表現できるからです。
デザイン原理に関する限り、ロザリンド・クラウスがピカソやブラックのキュビズム、またはモンドリアンの成熟した作品を、内在する格子(グリッド)という「論理」と結びつけようとしたとき、彼女はまったく間違っていたと私は思います。 そのようなグリッドなどありません。 そしてアイオナの「アーケストラクチャ」にもそのようなグリッドは見えません。 フアン・グリスにそのようなグリッドを見ることはできます。比較的初期のモンドリアンの絵画のいくつかにも見ることができますが、モンドリアンは実にすばやくそのような思想を乗り越えました。 キュビズムやモンドリアンは確かに直線的関係に取り組みますが、しかし内在するグリッドやその他いかなる幾何学的原理も根底にあるわけではありません。そしてそれこそが彼らの作品の「反論理」をかくも革新的、そして挑戦的にしているものなのです。
モンドリアンが彼の絵画「ブギウギ」(Boogie Woogie)で、ある限界を乗り超えようとしていたように、アイオナもまた、直線的な関係よりも潜在的にははるかに複雑な曲線的関係を探る上で、同様の限界を乗り超えようとしているのがわかります。 フランク・ステラの後期レリーフや彫刻の多くにも、曲線的な空間の負の構造に対する同じように挑戦的なアプローチを見ることができます。それには、「アーケストラクチャ」がそうであるように、キュビズムの精神が吹き込まれています。 モンドリアンとキュビストたちが自らに課した限界をアイオナが乗り超えて、エレガントに作られた、そしてゆがんだ曲線的空間の「負」の可能性を探究するとき、彼の努力はきわめてやむにやまれないものであるばかりか、芸術の発展にとって展望に満ちたものであることに気づきます。それは我々を、自我意識に包まれ自己に埋没したポストモダニズムのシニシズムとその陰鬱な産物であるコンセプトアート(概念美術)の向こう側へと導いてくれるのです。
ビクター ・グラワー
デビッド・アイオナの「アーケストラクチャ」について